悲しみの淵から、
23歳の息子が亡くなって3か月半ほど経った。
ネットで同じ悲しみを背負う人たちのつぶやきを読み漁った。
『私と同じだ・・』ここにも、あそこにも。
息子が亡くなる前には考えもしなかった事を、今はあれこれと考えるようになった。
私なりに精一杯愛し、育ててきた事に後悔は一切ない。
生きていて欲しかった、でもそれは私のエゴなのだろうか・・・
息子は生きることが死ぬことよりも辛かったのだ。
心を病み、生き急いでしまった。
心にできた癌のようなものが蝕み、死へと向かわせたのだろう。
助けられなかった無念さはどの親でも同じだ。
死にも色々ある。
死にたくなくても事故や病気で死んでいく人もいる。
どんな死であろうと、
残された者は一様に深い悲しみを抱えて生きていく事になる。
・・辛さの中に『何か』を見つけてみたい気がする。
そんな答えが見つかるのか、今はまだ分からないが。
ただ一つ、息子の死と向き合うということは、
私自身の問題なんだ、他の誰にも解決できない、自分自身の問題なんだということ。
私もいつかは死ぬ。必ず死ぬ。
いいえ、みんな生きている者には必ず死が訪れるんだ。
焦ることはない。
日々を過ごすうちに、
一歩一歩確実にゴールに近づいているんだからと思える。
その日までにゆっくり『何か』を探し続けようと思う。
『サイン』という映画を見た。
ある母親が、育てた娘を不治の病で亡くす。
母親には未来を予知する特殊能力があり、娘の死を知りながらも娘を生み育てていく。
見ていて幻想的で、現実との境目を忘れ、引き込まれ、考えさせられる映画だった。
息子の苦しみを、今は私が肩代わりした気がしている。
夫も、息子の姉である長女も苦しんでいる。
苦しんでいたんだね、でも今はお母さんがそれを代わりに背負っているからね。だから、もう苦しまないでゆっくりと、のんびりと、あの世で楽しんで欲しい。素敵な女性を見つけて、幸せに暮らしてほしいと思うよ。
号泣すると、心に溜まっている悲しみが洗い流されるように感じる。
でもまたいつの間にか心に溜まる、泣く、溜まる、泣く・・そんなことを繰り返す。
生きると決めたから、ゴールまでは生きるつもりでいるよ。
どうか、近くで見守って欲しい。
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